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Laissez Faire

限界なき生産と再生を繰り返す世界に向けて、読書とマラソンが趣味の筆者がメッセージ!

飛ばないボール

スペインとほぼ互角の戦いやったイタリアを日本だって追い詰めたわけじゃん。

去年もフランスに勝ったあと、ブラジルにぼこられたでしょ?

てことはさ、ブラジルがぶっちぎり強いだけで、スペインやイタリアやフランスとは普通にやれるんじゃねぇの?
メキシコ戦は吉田も長谷部もいねぇし本田も遠藤もふらふらだっただけじゃん。
だからワールドカップも大丈夫っしょw

っていう楽観的な意見が聞こえてこないのがすっげー不思議w

とはいっても
日本人は、調子にのりやすいし責任を取りたがらないから、こういうネガティブな論調のときのほうが得てしていい結果を生むことが多いのも事実だもんな。

Jリーグ各クラブの絶望的な経営状況がサッカー界全体に危機感を持つに至らせ、それが貪欲かつ強靭な組織を生み、自浄効果を育んでいるとしたら、腐敗したスポーツ界に必要なのは、プロとはショービジネスであり、利益を出すために存在しているという意識であるはずだ。

例えば、国技だとか武道とかいった権威に胡坐をかいてて気が付いたら最低の組織になってた相撲や柔道へ目をむけてみる。
するとバカは結局バカなんだってわかるぜ?
山下とか谷とかいう金メダリストや北の湖や千代の富士という横綱みたいな筋肉な連中が集まったところで、優れた組織改革なんかできるはずないっつーの。

NPBを見てみろ。
元大使wwwのコミッショナーや政財界のドンたちが作り上げた日本最高のスポーツ組織は、毎年、最高のエンターテイメントを提供してくれているぜw
やっぱり世の中を動かすのはいつでもインテリなんですね、加藤さんw
「歴史が評価」しています!

統一球すりかえとか最高じゃねぇかw

こういうギミックが重要なんだよ!

サッカーもさ、飛ばないボールを導入してみたらどう?
そしたら、ロングシュートでゴールとかなくなるし
ヘディングっていう概念がなくなったら、「高さ」とかいらなくなるよね!

他のスポーツは圧力かかって、意味不明なルール変更が横行しているんだからよ。
JFAは「サッカーボールを5キロとかにする」っていうルールを導入するようFIFAに働きかけろ!
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内面世界の変革への認識がもたらす進化

外国へ旅行したとき、私たちは非日常的なものとして外国文化を体験する。それを目的に海外へいかれる方も多いだろう。
他方、旅行ではなく外国に定住した場合はどうか。
一時的な旅行とは違い近いうちに帰国するという期限のない定住では、異文化は私たちにとって日常的なものへと変化し、空気や水と同じく心身に馴染み浸透していく。そしてその外部からの情報は私たちに圧倒的な影響を及ぼし、考え方や発想さらに人格といったものの変質を促す。
そして在外日本人が帰国する場合、彼らは日本文化を非日常的なものとして体感することになる。と同時に、日常的であった外国文化に接していないことを非日常的なものとして捉えることになる。
海外に住むということは、そうした価値観の変遷、逆転を必然的に生じさせるのだ。

この変遷、逆転は、いうまでもなくあらゆる環境の変化において生じる。海外移住だけでなく、転職、結婚、進学、就職など、多くの場面で、同じことがいえるだろう。
当然、自身に生じた変化はそれだけではただの変化にすぎない。当たり前の変化として受け入れてしまえば、それが何かを産んだり、それ自身が何かに変化したりすることはないのだ。
そこで、自分自身の内面の変化をはっきりと自覚し、変化の前と後の自分を比較する。するとこれらの変化はただの変化からそれ自体が意味を持つ事象へと姿をかえ、私たちの内部で有効的に作用しはじめる。
このときの作用こそ私たちとって価値があるものであり、この段階に至ってはじめて異なる環境へ身を投じる意味があるといえるのである。

しかし、実はそれだけでは十分とはいえない。
なぜなら、その作用はあくまでも私たちの内面で行われるものであり、外部との接触というものが一切ないためである。
私たちが、知識、教養、経験、技術というものをいくら習得しようとも、その技術によって自分自身が何できるようになったか、成長したか、という思考だけでは、その意味は半減する。
最も重要なことは、新しく得た知識や技術を持った自分は、これまでの自分比較して世界における自分の位置がどう変化したのか、そして、自分から見える世界はどう変化したか、どのように見えるようになったか、について考えることであろう。
内面の進化だけでなく自分をとりまく世界の中での自分を意識する。ここに至りはじめて環境の変化を自分への糧へとすることができたといえるだろう。

まずは己の変化を認識する。そしてそれをもって世界を観察する。
それがさらに自身の進化を促し、世界がさらに違った景色としてみえるようになる。
そしてその世界はさらなる変化を私たちに与えてくれるだろう。

スカイツリーに行ってきた!

こんにちは。
先週末、トウキョウスカイツリーへ行ってきました。
もちろん、最上部まで。

スカイツリーは建設途中に何度か見に行ったことあるんだけど、完成してからは初めてでした。
いやぁ一度のぼってみたくて、ずっと楽しみにしていました!
完成から1年ようやく行くことができたので、ちょっと興奮しましたよ!

チケットは総額4000円!!
高いかどうかは、個人の財布によるんだろうって、いやいや、よらないよね。
どう考えても高すぎる。
東京に住んでて、週末観光に家族でスカイツリーってのでも高いけど。
それ以上に、地方からきて、一泊して、食事もして、他の観光地(例えばTDL)にも行ってという家族やカップルにとって、スカイツリーの入場料4000円は高い。

さすがに高さ450mからの見晴らしは良かった。

だけど、なんだか上った感がしなかったんだよな。
僕はこれまで、東京タワーをはじめ、六本木ヒルズ、都庁、サンシャイン、ランドマークタワー、エッフェル塔、エンパイアステートビルなど色んな建物に上ったことがある。スカイツリーの展望台はこの中でも、相当高い部類にはいるんだけど、なぜだか高いところへ登ったという感覚がしなかった。

最初の期待が大きかっただけに、なんだかちょっぴり残念でした。

次は、夜に行ってみよーと思います!
あと、人が少ないとき!!









空間の断絶への無自覚さ。

フランスで同性結婚が合法化された。
これを好意的にうけいれるか、そうでないかは各々の価値観にゆだねられるだろう。
だが、こうした話題を論じるときに価値観同様重視したいものは、その論点の詳細である。
同性婚についてならば大きく分けて次の3つのテーマが考えられるのではないか。

一つは、同性婚というもの自体への考え方
一つは、この同性婚はフランスという国家にとってよいかどうかということ
一つは、日本において同性婚を認めるか否かということ

多くの論者は、これらのどのテーマについて書かれている文のであるのか、自分のいっていることはどのテーマに当てはまるのか、そういったことを混乱し発言しているように、見受けられる。
「愛の形はひとそれぞれ」「規制しても意味がない」というのは簡単だが、こうした発言を不用意にするものは恋愛と結婚というものの違いを全く理解していないのだろう。

結婚とはある二人の人間の関係を彼らが所属する社会が認めるというものである。
それため、村として認めるならば、村によって結婚式はあげらていたし、その様式も村の伝統に沿ったものとなる。
宗教的に認められるという場合には、結婚式は彼らが信仰する宗教の様式に沿ったものである。
国家に認められる場合には、国家が認める様式に沿った手続きを行う。
そしてその結婚式には、彼らを取り巻く人間が参加し、彼らの、家族、友人、会社、などの人間に認めてもらう。
日本という国家が同性婚を合法化するということは、日本社会全体で同性婚を認めるということになる。
はたして、同性婚を認めることが日本社会にとってプラスになるのだろうか。

物事には、規制し取り締まるもの、制限を課すもの、認めてはいないが制限や罰則はないもの、国家として承認するもの、がある。
例えば、強姦、未成年者との姦淫、近親相姦、複数の人間と交際関係をもつこと、不倫、という関係があったとき、それぞれはどこかに分類されることになる。

現在、日本において同性愛は、認めてはいないが制限や罰則はない、というところに分類されるのであろう。
同性愛を認めないというと、あたかも同性愛を禁止しろといっているようにうけとられることがある。だが私はそういう趣旨で同性愛を認めないといったことは一度もない。個人の自由恋愛においては他人がとやかく口をはさむべきではないということに私も賛同する。ところが結婚となると話はかわる。なぜなら、先に述べたように、結婚とは国家が認めるカップルの形であるため、それは社会全体へ影響を与えるものだからである。
仮に、同性愛が認められた日本社会を想像してほしい。
身近な例でいえば、言葉狩りの影響で学校行事などでは「お父さん、お母さん」という表現は禁止される。
日本が有してきた「家」という概念は崩壊し、結婚は親は関係ない個人間のものという意識が芽生えるだろう。
もはや日本が日本でなくなるのではないだろうか。

おそらく同性婚にたいする意見は各個人でもっているだろう。
今回、フランスという西欧の国家においては、さまざまな理由のもと同性婚は認められた。
だが、それを以って、社会システム、宗教、人種構成、法律、文化、歴史、経済、すべてが異なる社会で認められたからといって、同性婚を日本にも導入すべきなんだという安易な考えだけにはなってはならない。

イスラームの国では、一夫多妻制なんだ、だから導入しよう!
といっているのと何ら変わりはない。
いや、むしろ、歴史ある制度を参考にするというのと、昨日今日できたばかりでうまくいくかどうかもわかっていない制度を導入するという方こそ、愚か極まりないといえる。

おそらく多くのフランス人が、今回の変革へ、甚だしい危機や恐怖を感じているだろう。
そのことを無視し遠く日本から「愛の形はひとそれぞれ」などと言い放つ人間は
その彼らが抱くフランスへの祖国愛を侮辱しているという事実に気がつかなければならない。

衆愚なる右翼社会。

先日より、有力政治家による歴史認識について注目すべき発言が相次いでいる。
その多くは、戦後から続く日本は朝鮮や中国に対して全面的な加害者であるという旨の発言に対して、否定的あるいはそれを見直すという立場によるものである。
こうした発言は、第一次安倍内閣時に首相が掲げていた戦後レジームからの脱却というフローを継承しているという意味で決して目新しいトピックではない。
しかしこれがこれほどまで注目されているのは、その趣旨の発言は与党からだけではなく、野党代表がしている」からであろう。
これは単なる、野党の暴言ではなく日本政治の変革を意味していると私は考える。
日本が民主主義である以上、政党、政治家、政策は、確実に国民の意識を反映しており、もし与野党ともにこうしたイデオロギーを有している政党が、多くの議席数を確保しているとしたら、国民こそが右翼化しているのである。

ACの広告に「この国のおもいやりは世界遺産」というフレーズを含むものがある。
私はこのCMを聞くたびに厭世的にもにた感覚に陥ってしまう。
自分たちで自分たちを思いやりがある民族だと自画自賛していることに違和感を覚えるどころか、
共感をしている人間がいたとしたらこの国の行く末は、言わずもながであろう。

中国や北朝鮮への敵対的な報道を自然とうけいれ
無意識のうちに日本こそ正義であり、それに敵対する国家は悪であると認識する。
まさに合衆国政府の行動原理と同じであることがわかるだろう。

私は、この急速かつ驚異的な右翼傾向に警鐘をならしたい。
なにも、村山談話を継承し、靖国参拝をやめ、中国や韓国の主張を受け入れ
領土問題にかんしても妥協すべきである
といっているのではない。
政府はマスコミを利用し愚かな国民の価値観を矯正しているのであるということを私たちはしっかりと認識しなければならない。
自分が持っている価値観は、自分が苦悩し葛藤し熟考し獲得したもの、ではなく
第三者から非常に強い影響を受けた結果の産物なのかもしれないと疑わなければならない。

日本が民主主義国家であるならば、国家とは私たち国民である。
私たちの価値観、意思、思想の集合体が国家の価値観、意思、思想であり
それがこの国の行動を決定し、国家を形成していく。
その私たちへ影響を与える第三者の存在を許容することは難しい。

なぜなら、愚かなる国民を扇動することは、これまでや現状の例を以って察するに非常に簡単なことであり国家に対して翼賛的な勢力の形成も容易なのである。
つまり、この衆愚の盲目的右翼化は
意見の多様性を失い、全体主義化した国家へと舞い戻る、そういう危険性をはらんでいるのである。




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